ロゴ

主任司祭のメッセージ Message from parish priest

『十勝開拓の祖』

2018年09月17日| 司祭 加藤 鐡男

 夏休みで一年ぶりに帰郷しました。両親の墓参りも済ませ、兄弟姉妹の家を訪ねて、あっという間に夏休みも終わりに近づいた。最後の一日はのんびりと過ごそうと、最近ネットなどで有名になった我が町の晩成温泉に行くことにした。

 この温泉名や地名にもなった「晩成」は、この地に入植した開拓団「晩成社」に由来する。明治16年依田勉三率いる晩成社社員の13戸、27人が現在の帯広に西伊豆から入植し、明治19年に現在の大樹町晩成地区に入地した。

 町の資料によれば、「開墾作業は大変困難を極めたが、牛、馬、豚の飼育、養蚕、ハム製造、馬鈴薯、ビート、しいたけ、米の栽培、木炭、練乳、バター、スキムミルク、缶詰の製造を試みた。また、木工場を建設し、枕木、樽材等の生産を行ったが、いずれも成功しなかった。しかし、不屈の精神で新しい事業に立ち向かい、1920年には幕別町途別において米作に成功している」とあります。

 依田勉三は、十勝開拓に入り約30年、その想いは途切れることなく73歳の生涯を全うしました。その間、犠牲者もありました。この晩成社跡地に今も残る依田勉三が建てた佐藤米吉の墓には、木の伐採で下敷きになり、医者を呼ぶことも適わずただ見守るだけだったと書かれています。

 この「晩成社」の話から、わたしたち信者の宣教への在り方に対しての示唆をいただけるように思いました。私たちはすぐに結果を求めようとする傾向があります。どうして振り向いてくれないのだろうか、どうしてこんなに善いことを伝えているのに信じてくれないのだろうか。そこには自分本位の思いが介在して、伝えるべき相手の心を塞ぐ作用をしているのではと考えられます。そうではなくて、相手の立場になってそのことを考えたときに、もっと時間が必要だとか、静かにその想いにふけりたいだろうとか、疑問もあるのではないだろうか、とかが理解できるように思うのです。

 わたしたちの宣教は、一朝一夕にできるようなものではなく、ゆったりとした時間の流れの中にあることを今一度心に刻みながら、救われることの有り難さ、喜び、神の愛の大きさを、他の人にも味わってもらいたいものです。


司祭メッセージ一覧へ


ページトップ
MENU