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主任司祭より

『二十四番目のマリア様』

2016/11/01 加藤神父


 今月の初めに、ある街の方からマリア像を戴いてきました。その家に住まわれていたお母様が帰天され、しばらく空き家になっていて、住む人もなく壊すことになったと言います。その家に、木内藤三郎神父が造ったルルドの洞窟を模し、上部にキリスト磔刑像がつけられ、マリアとベルナデッタの像が安置されている立派な祭壇がありました。その家を継いだ方が信徒ではなかったことと、古い家と共に記憶にだけ留めておこうと思われたのではないかと思いますが、家と共に処分されることになっていたそうです。親戚の信徒の方がそれを聞いてもったいないと思い、わたしの所に電話をくださったというわけです。わたしは話を聞いて、すぐに私にくださいとお願いしました。

以前、主任だった江別教会は、木内神父が建設に携わり、神父が作った聖堂正面のキリストの磔刑像と1メートル20センチはあるマリア像を見ていたので、是非欲しいと思いました。

 ある長老の神父から伺った話によれば、その方が木内神父の下で助任をしていたときに、祈りとか聖書の話があるときには、「頼む」と言ってそれを助任の神父にまかせて、自分はよく彫刻をしていたそうです。マリア像は、全部で百体ほど作られたそうで、各々に番号を付けていたと知りました。私が戴いたマリア像の台座の裏を見ますと二十四とありました。比較的初期に造られた作品だったようです。

 木内神父が創設した「雪の聖母園」は、信徒の方々の寄付を主な財源として創設されました。その時に、この街のお二人が多額の寄付をしてくださったので、そのお礼にこの街の二軒のお家に同じものを作って贈ったそうです。ですから、この祭壇と像には、木内藤三郎神父の「雪の聖母園」への想いがたくさん詰め込められたものなのです。その想いが込められて作られたものが、五十五年の時を経て、私の処へ届いたことになります。札幌教区の先輩として、後輩である私に司祭としてキリストに仕えることはどのようなことなのかを、この祭壇とマリア像を通して諭してくださったのではないかと思います。司祭職の何たるかを忘れるな、との教訓ではないかと肝に銘じました。

 今回のできごとを振り返ったときに、「人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい」(コロサイ3・22~23)との聖書のことばを思い出しました。心に留め、前を向いて歩いていきたいものです。

 

 

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