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主任司祭より

『プチ旅行』

2017/07/06 加藤神父


その日は久しぶりの一日、何もない休日だった。数年前から気になっていた美術館があった。今年こそ尋ねてみようと三週間前からネットで調べ、無期限の会員の申し込みをして、いつでも行けるように準備万端整えていた。
当日は先週のぐずついた天候とはうってかわって爽やかな青空だった。朝ミサを終えて朝食もそこそこにカメラをかついで車を走らせた。道央道を三笠で下り桂沢湖を経由、芦別の三段滝を見て富良野への道々を走った。
約三時間で念願だった後藤純男美術館に着いた。月曜日にもかかわらず駐車場は私の車を停めると満杯だった。先に入った六人ほどのグループが大きな声でしゃべり続け、少々うんざりしながらも間を置いて鑑賞した。やがて、そのおしゃべりも気にならないほどに絵に引きつけられていった。広い部屋の端から端まである一枚の絵。部屋の壁面の半分ほどもある桜の大木を描いた、対になった二枚の絵が目に飛び込んできたときに、まず圧倒されたのと、画家の写真を見る限り静かな面立ちで中肉中背の画伯に、これほどの情熱があることに驚かされた。
観終わって、ここまで来たのだからと十勝岳に立ち寄っていこうとそちらへ向かった。途中で吹き上げの露天風呂を通り過ぎ去るところだったが、久しぶりだったので一風呂浴びていこうと風呂場まで下りていった。男性が四人ほど湯に浸かっていた。青みがかった温泉は疲れと気分をゆったりとさせてくれる極上の、しかも、ただで入れる別天地だった。
十勝岳の望岳台の駐車場は、脇の残雪が溶け出して雨後のように濡れていた。あいにく十勝岳の頂上は雲に覆われ見えなかったが、大雪の残雪に輝く峰々は美しかった。
美瑛の街を通り旭川に抜けて道央道を走って帰途につき、プチ旅行は終わった。
車を走らせている最中、頭に浮かんできたのは後藤純男の世界だった。わけても高さ1.8メートル、横14メートルの大作「雲海黄山雨晴」は脳裏から離れなかった。雨が降っている右端から、雨脚が弱まり晴れ間をのぞかせる左端までの絵には、ただただ圧倒されている自分がいた。人間にこんな素晴らしい能力を神様が授けて下さっているのだと考えたとき、あらためてその偉大さや人間をここまで愛し、他の様々な能力を持った人間を造って下さった度量の深さ広さに、改めて驚きを禁じ得なかった。富良野の自然は相変わらず素晴らしいものだったが、今回の旅行ではあの絵に感服だった。
北海道が気に入ったこの画伯のアトリエの候補地に名乗りをあげた当時の町長の見識に感嘆するとともに、そのことに「ありがとう」と言える自分がいた。またいつか行けることを楽しみに。
収穫の多いプチ旅行だった。

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