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主任司祭より

『小さなひとびと』

2017/08/06 加藤神父


札幌大通公園の西9丁目には有島武郎の文学碑があり、小説「小さき者よ」の有名な一節が刻まれています。妻を亡くした武郎が幼き三人の子供たちに綴った実話小説です。碑文に刻まれいているのは次の句です。
「小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ」
これを教会に当てはめて考えると、著者は御父とイエス・キリスト、子供たちは信者である。いつも天から聖霊を送り、私たちを見守り導いて下さり、「何も心配はいらない。いつもわたしはあなたがたと共にいる」と言って下さる神。そんな神様に向かっていつも感謝をし、自分のできることをご奉仕して下さる大勢の方々が、教会にはいらっしゃいます。私が5時に起きて扉の解錠をしようと階下に下りると、すでに教会の建物の周りの石の間の草取りをしゃがんで一心にしていて下さる方が居ります。昨年一年間は司祭館の食堂で料理のご奉仕をして下さる方々がおりました。今年の春からは毎週のように料理を届けて下さる方々が居ります。毎週聖堂やホール等のお掃除に通って下さる方々が居ります。「週のお知らせ」を毎週作って下さる方々が居ります。オルガン伴奏のご奉仕をして下さる方々がいます。事務を担当して下さる方々、営繕に尽力して下さる方々、典礼奉仕をして下さる方々、一人暮らしの人たちに交わる機会を作るご奉仕をして下さる方々、花壇の手入れをこまめにしてきれいな花を咲かせて下さる方々、行事の度に美味しい昼食を用意して下さる方々、今は少なくなった子供たちのお世話をして下さる方々、これらの方々のご奉仕によって教会は支えられています。
お一人おひとりは、社会に名を連ねるような方々ばかりではありませんが、真っ正直に人生の大半をキリストの精神を心に刻んで生き続けてきた人たちです。そのような意味からすれば、「小さな人々」と言えるのでしょう。
いま、世界中で行われるようになっている行事にしても、元々は名もない一人の人が始めたことが起源となっていることが多いのです。「母の日」も、米国の女性が亡くなった母の記念日に、好きだったカーネーションを捧げたことから始まりました。私たち「小さな人々」と呼ばれる存在も、やがて大きな力となって世界中を動かすこともあるのだということを信じて、小さな善意をこつこつと教会や社会の中で弛むことなく行う私たちでありますように、主に願いながら日々歩んでいきたいものです。

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