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主任司祭より

『日本のゴッホと呼ばれた人』

2017/09/03 加藤神父


かつて「日本のゴッホ」と呼ばれる人がいた。「山下清」である。彼の作風がパリ時代のゴッホの作風に似ているところから、マスコミがそうはやし立てその後定着したようである。
その「山下清展」が、帯広道立美術館で七月から九月の初めまで開催されている。
有名な「長岡の花火」の作品のコーナーに、大きな文字で彼のことば「みんなが爆弾をつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」が、メッセージとして貼られていた。まさに同感と頷いてきた。
山下清は、後年ヨーロッパに出かけ水彩画も描いている。その作品に「パリのエッフェル塔」というのがある。画面いっぱいにダイナミックにエッフェル塔が描かれ、灰色の空に雲がたなびき、下部には車や人間が楽しそうに歩いている。見ているだけで心が晴れやかになる絵だ。気に入って、もちろん複製画であるが二か月分の食費代を当てて購入した。部屋に掛けてあるこの絵を毎日楽しみに眺めている。山下清は放浪の画家として知られているが、取材に現地に行くがすべて頭の中に入っていて、描くのは自宅だった。一度描いたものを、後年もう一度描いても寸分違わなかったそうである。
私たちキリスト者はどうであろうか?日曜日毎にミサに与り、キリストの話を聞き、その他キリストの話に触れ実践するように促され、行いを倣うように教えられている。そんな話は何度も聞いて知っていますと言わんばかりなのに、なかなか実践出来ないのが私たち信者ではなかろうか。これは、もう初心に戻るより仕方がない。私たちが受洗したときは、心は燃えていたはずである。素直に純粋にキリストに倣いたい、従いたいと思ったはずである。それが、いつの間にか共同体にのみ込まれ、埋没してしまった自分がいる。もう一度、その心を奮い立たせ、原動力として自分の頭に確固たるゆるぎないイメージを植え付けて、どんな誘いにも負けない、確たる信仰を身に着け、皆で歩き続けたいものである。

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