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主任司祭より

『私のガリラヤの家』

2017/11/09 加藤神父


九回目の同期会が、さいたま教区の司祭の当番で行われた。海外で留学していた同期生が戻ったので初めて七人全員が揃った。
神学院一年目の養成は、栃木県那須での共同生活の習得だった。学期毎の組み替えで、三人の組と二人の組が三組での共同生活を一年間行い、人間関係のあり方を学ぶというものだった。
那須のその場所は社会福祉法人の一角にあり、その利用者との交流を含めた共同作業が一週間に三回あった。一年間での短い期間だったが、利用者は温かく私たちを受け入れてくれた。私と同じ年齢の人がまるで幼児のような純な心を持っており、私たちを友達のように振る舞い、分け隔てなくつきあってくれた。誰彼となく、最初にまず名前を聞かれた。彼らの名前の記憶力は抜群だった。あっという間に全員の名前を覚えて、私たちを神学生とは呼ばずに一人一人名前で呼んでくれた。それはこちらが驚くほどに秀でていた。その他にもモンゴルの発声法とそっくりに喉を鳴らす人など、様々な得意技の持ち主が大勢いた。その場所を、最終日に訪ねることになっていた。
最終日の朝、「ガリラヤの家」に行ってみると建物は撤去されて更地になっていた。寂しさを感じながらも、思い出話に花が咲いた。
私たちが整備を手伝った「憩いの広場」に行って記念のプレートを眺めていると、一人の男性が走ってきて懐かしそうに私たち一人一人の名前を呼んでくれた。私たちの方が彼の名前を忘れていたのにも関わらずである。嬉しかった。そして、わたしたちの行ってきたことに間違いがなかったことが証明された瞬間だった。利用者の彼も年を取ってはいたが、その顔を忘れてはいなかった。名前を尋ねて、「ああ、そうだ」とうなずいた。どんな処でもどんな時でも、その場その場を真剣に生きなければならないことをその彼から教わったことに、嬉しさと感謝の気持ちが私の中に湧き上がるのを感じた。

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