※2018年9月より新築工事中です。ミサや勉強会などについては今月の行事予定をご確認ください。

司祭メッセージ


『救い主がこの世にいらっしゃった目的』    司祭 朴 宰奭(ぱく ぜそく)

2019/02/02


~たった一人の悔い改める罪人でも残らず救うために

 ♰主の平和

皆さんこんにちは。アンセルモ朴神父です。                                                        今回は救い主がこの世の中にいらっしゃった目的について申し上げます。

 わが救い主イエス・キリストがこの世の中にいらっしゃった目的は、はたして何でしょうか。それは簡単です。これに対する答えを調べるために、私たちはルカによる福音23章26節から43節まで調べられます。                                                        特にこの中で39節から43節までに注目してください。イエス様と一緒に十字架にかけられていた犯罪人の中で、イエス様の右の犯罪人は死ぬ前に自分の罪について悔い改めながら、イエス様にこうやって求めました。                                                「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」                                  すると、イエス様が何とおっしゃいましたか。                                                   「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる。」                                           まさにこれです。

 イエス様はたった一人の罪人でも、悔い改める罪人は残らず救ってくださる方だということです。イエスの使命が、このようにあの方の最期の瞬間に明らかになりました。但し、条件は私たちの悔い改めでございます。

 皆さんは、福音書からファリサイ派とか律法学者が救われたというお話を読んだことがありますか。おそらく全くないでしょう。ファリサイ派とか律法学者たちは、自分で罪がないと思っていた人々でした。自分で正しい人だと思っている人は悔い改めることはないと思うので、彼らにとって救い主は いりませんでした。それで聖書のどこにもファリサイ派とか律法学者たちがイエス様の弟子になった、というお話を読んだこともないし聞いたこともないのです。         ひょっとして皆さんの中に、ファリサイ派とか律法学者たちのような気持ちを持った方はいませんか。もしそのような気持ちを持った方がいらっしゃったら、早速捨ててください。

 司牧者として私の望みは、皆さん全員が神の国で永遠に幸せに生きることです。この事実を伝えるために、私はここ日本に来て、こうやって今も神の国の福音を伝えていて、また伝えようと思います。

 皆さん、これ一つだけ覚えてください。神の国に入るための条件は「悔い改め」だということを絶対に忘れないようにご注意ください。

 

『神の母聖マリア』                    司祭 ケン・スレイマン

2019/01/04


新年あけましておめでとうございます。                                      どうですか皆さん、クリスマスから新年まで少し休むことができましたか?私達はクリスマスの日、新しく生まれた幼子イエス様を迎えるために、羊飼い達と同じように寒い天気の中で教会に来ました。

 2000年前のイエス様が生まれた様子をもう一度感じて、新しい希望を与えられました。イエス様の誕生から学んだことは、神様が一人一人に特別な仕事を任命します。その中でマリア様はもっとも大切なスターですね。                                         マリア様の素晴らしい意志は周りの人々に影響を与えました。ヨセフはマリア様の愛を通して、彼女の決心を尊重して自分の心の葛藤を乗り越えました。そして彼が自分の神様から任された仕事を探しました。羊飼い達も天使たちの嬉しい模範を通して影響を感じて、仕事場から少し離れてベツレヘムの馬小屋を訪れました。この訪問の後で一人一人の人生が変化したでしょう。                                                           自分たちも生きがいを神様の意思、自分のための命をもっと深く理解しました。それは新年の目的ですね。新年のときに、空に特別な星が現れます。人生も変化するべきです。昨年よりも私たちはもっと良い人間になるために、神様の意思と自分の意思を合わせる作業が必要です。

 今日はクリスマスの時期の真ん中です。まだ来週までクリスマスの期間ですね。バチカンの前の馬小屋のセットが、私達信者の課題を教えています。その様子の中でもちろんマリア様、ヨセフ様、羊飼い達、3人の博士、幼子イエス様が飾られています。またそれ以外のシーンも表されています。それは慈悲深い行いです。7つあります。                                                                             飢えている人に食べ物を与えること                                          喉が渇いている人に飲み物を与えること                                       ホームレスの人に居場所を与えること                                       病者にお見舞いすること                                             刑務所で面会すること                                              貧しい人々に施しをすること                                           亡くなった人を埋葬すること                                                この背景は、マタイによる福音25章に書かれています。それはイエス様の羊とヤギについての話です。13世紀にトマス・アキナスは自分の本「神学大全」にこの7つの話を書きました。やはりこの7つの行いは福音宣教です。なぜなら、一つずつは愛を表すためです。                                              どうしてこのことはクリスマスの時に馬小屋セットを作った人々が入れたか考えました。やはりマリア様は、人間の中で第一信者としてその慈悲深い行いをしました。なぜなら、マリア様が天使ガブリエルにイエス様のお母さんになることを賛成したことを通して、イエス様に家を与えられました。ですからマリア様は私達信者の模範です。

 私達カトリック教会は、全然知らない人を助けるためにいろいろな施しをします。例えば空腹の人に食べ物を作ったり、服がない人々のために服を集めて配ります。そしていろいろ社会的な活動をお金でサポートします。                                    どうぞ皆さん、マリア様の模範に従いましょう。                                  毎日、愛を通して生活しましょう。

(2018年1月1日の説教より)

『降誕祭に向けて』                  司祭 加藤 鐡男

2018/12/02


 街のクリスマス商戦を盛り上げようとする軽快な音楽が耳に入ってくると、つい、真っ白な雪に覆われた丘から、シャンシャンと鈴の音を響かせトナカイに曳かせたそりに乗って、楽しそうに手綱をあやつって駆け下りてくるサンタクロースの姿が目に浮かんできます。

 それに比べると教会の降誕祭(クリスマス)の雰囲気は違います。厳かな中に静かに響くオルガンに導かれて、主イエスを象徴する赤ん坊の人形をおしいだいて司祭が入堂すると、暗い聖堂で小さなローソクを手に持った信徒たちの歌う聖歌で降誕祭のミサが始まるのです。

 毎年降誕祭を迎える度に思い出す出来事があります。それは、ある教会で年間の主日に作間彪神父が作った『或るクリスマスの出来事』という詩を取り入れて説教したことがありました。ミサに参列していた私と同年配の彼が、その詩を聞いて滂沱の涙を流していたのです。隣に座っていた未信徒の奥さんも怪訝そうな表情を浮かべていました。

 その詩は次のようなものでした。クリスマス・イブに、教会に背を向けていた老いた農夫が、暖炉で身を温めながら揺り椅子で「神が人間になったことなど信じるものか」とまどろみかけていた時、突然、窓ガラスに何かがぶつかる音をききます。それは、次々に雪が降る暗闇に、この家の灯めがけておし寄せる小鳥たちの群れだったのです。農夫はそれと気づき、納屋に電灯を明か明かとつけて扉を大きく開け放ち、干し草を蓄えた方に導こうと必死に呼びかけますが、小鳥たちは母屋の窓ガラスにぶつかってむなしく死んでいきました。「ああ、私が小鳥になって、彼等の言葉で話しかけることが出来たなら!」。農夫は気づきました。「神が人となられた」ということの意味を。

 涙を流した私と同年配の彼は、信仰の篤い地に生まれ、両親の為のミサをお願いしに年に数回教会に来ていましたが、幼い時に両親から培った信仰を守り切れていない自分を思った時に、この詩がまるで自分のことのように心の琴線に響いたのだと思います。

 私たちも、日頃の様々な誘いに負けていたことを反省し悔い改め、純粋な心を忘れずに、主の降誕を祝う準備をしっかりと行いたいものです。