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パトリシアが選ぶお薦めの1冊 Recommended Books

神の小屋

神の小屋

本の帯に「あなたは『神』と会ったことがありますか?」とあります。

この本のあらすじは、ある日、マックという主人公が、最愛の末娘ミッシーを休日のキャンプ場で誘拐されます。ミッシーは見つからないまま4年が過ぎ、〝大いなる悲嘆〟の中で暮らすマックの元に、事件当時、血にまみれたミッシーの赤いサマードレスが見つかった小屋に会いに来るようにという、奇妙な招待状が届きます。差出人は「パパ」です。一体パパはなぜマックに招待状を出そうとしたのでしょうか?パパは「マックの中で、だんだん大きくなっていく傷と、パパとマックの間でどんどん深くなっていく溝をなんとかしたい」という思いから、招待状を送ったのです。「自分の持っている痛みをいっぺんに取り去ってしまうようなお手軽な方法なんてなくて、人生には、ちょっと時間をかけることと、神や人との深い関わりが必要」ということを知らせたいとの思いからです。

この本の中では三位一体の神 御父・御子・聖霊が、(パパ・イエス・サラユー)と呼ばれていて、三位の働きがどのようなものであるかを伝えています。一人の神であり、三つの人格であり、一つひとつ完全に独立した一つの人格であることをです。

イエスの目的は最初から、イエスが人間の中に生き、人間がイエスの中に生きることです。そのことを可能にしてくれるのが聖霊であり、御父の喜びは、罪に蝕まれた人を癒すことであると書かれています。

神は私たちに、神ご自身がすでに自分たちの中に持っている、この愛と喜びと自由と光を分け与えたい。神は私たちを、神と顔と顔を合わせて交わりを持つべき人間として創造した。三位一体の愛の輪の中に入るようにと。神が私たちを愛していることを私たちは知らないから、私たちは神を信頼できない。人間の力だけでは無理だけど、神と一緒に過ごすことでそのことがわかってくる。

心の中にいろいろな物を抱え込んで、マックはパパに会いに行きます。そして(パパ・イエス・サラユー)と過ごす時間は、とてもシンプルで暖かく、親密で純粋で聖なる何かだと感じました。
神を追いやって、裁き主になろうとするマックに、聖霊はひとつひとつ質問していきます。心の奥にあるものを吐き出させるかのかのように。そして、愛である神に気づかせます。何故パパがイエスをこの世に送ったのか、その理解に導きます。
聖霊とマックのやり取りは、聖霊と私のやり取りでもあり、何もわかっていない自分に、気づかされるところでもあります。何よりも、神の愛、懐の大きさに気づかされます。そして、私たちが神と出会う場所は、私たちの心の奥であると。それは神から離れて立っている場所から、神の元に帰ることで、神の本当の姿を知り、自分自身の痛む胸の真ん中に神の愛を受け入れることになります。人間が向きを変えて、神のところへ帰ってくる。そうすれば、神は人間の心の中に入ってそこに住み、すべてを分かち合う。神と人間との友情は、ただの観念ではなく、現実のものとなります。
御父は、人間が生きていく中で、苦しみのないところにも恵みは存在すると言います。また苦しみのあるところでは、恵みはさまざまな輝きと色彩を見せてくれるとも言います。命も人生も神の御手の中にあるのであって、それ以外のどこにもないと。
神は人間の一部や生活の一部ではなく、その人とその人の一日すべてが欲しい。すべての中心にいることを望んでいます。
マックは神と親しく時を過ごすうちに、自分から離れることのなかった〝大いなる悲嘆〟が無くなっていることに気づきます。突然姿を消してしまったようです。

私たちはみな、それぞれの嘆き、潰えた夢、心の傷、自分だけが知っている喪失、それぞれの「あの小屋」を持っている。私が見出したのと同じ恵みをあなたも見出し、永遠に変わることのない三位一体の神(パパ・イエス・サラユー)の存在があなたの心の空虚さを埋め、ことばにできないほどの喜びと栄光で満たしてくれることを祈っている。
と最後に書かれていました。

 

ウイリアム・ポール・ヤング著
結城 絵美子       訳
いのちのことば社     刊
定価       1900円+税

更新日:2018年4月13日


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執筆者

パトリシア

本が大好きな広報部員。夏は十勝にある広大な農地で畑仕事に精を出し、札幌と十勝を行き来しながら、晴耕雨読の日々をおくっています。
洗礼名について/パトリックの女性名。聖パトリックはシャムロック(アイルランド語でクローバーの意味)が象徴。アイルランドの守護聖人。



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